おおかみづか
                                      手づくり絵本ハーモニカ 作
                                      広野 多珂子先生 指導

むかし むかし 200年も
むかしのことじゃ。
小谷堀村、後谷村、前間村の
あたりに まいばん いっぴきの
おおかみが あらわれ
むらじゅうを あらしまわった。

からだは こうしほどもあり
めは ほのおのように あかくもえ
30キロもの とおくでも
みとおすことが できた。

しっぷうのように あらわれ、 いっしゅんのうちに
うまや うし、 にわとりを おそった。
かちくだけじゃない。 ときには
ひとを おそうことも あった。
むらびとたちは、 このおおかみのことを
「あくま」と よんで おっかねがっていた。

小谷堀村に 次助という おとこがいた。
次助は だいじな うまが やられてから
というもの いつも
「おもしろくねぇー。 あくまを このてで
 しとめて やりてぇ。」
と おもっていた。

はたけしごとを ほったらかして
じゅうを かたに 
そけらじゅうを あるきまわった。

あるひ とうとう 次助は
あくまを めっけた。
よりにも よって なんと 次助の
たんぼの わきのい
じべたに いたのだ。
はらくちいのか おおきな はらして
ひるねを していた。

次助は このときと ばかりに
ひきがねを ひいた。
むらびとを さんざん くるしめた
あくまの さいごは あっけなかった。

ところが それから というもの
次助の いえでは わるいことが
つづいて おきた。
おじいは こしを いためて ねこむし
おばあは ころんで ひざに
けがをする。

おまけに 次助の かみさんは
ちちの でが わるくなる。
7にんの こどもは
みんな はらいたを おこす。
と いった ぐあいに。

ほとほと こまった 次助は
「やっぱし あくまの しわざに
 ちがいねぇ。」 と おもい
おおかみの ために つかを
つくってやり
おそなえものをした。

それでも わるいことは つづいた。
やねから あまもりが してきたり
たんぼの いねが きゅうに
かれたり したのだ。
次助は しぶしぶ
たんぼを てばなした。

次助のあとに となりの 吾助が
たんぼに さくづけを した。
すると 吾助の いえにも
わるいことが おきはじめた。
8にんの こどもたちが
はやりやまいに
かかってしまった のだ。

むらの ひとたちは
きびわりがった。
「ほおって おくと あくまの
 ことだ いまに むらぜんぶに
 わるいことを おこすに ちがいねぇ」
むらじゅうの ひとは あつまって
かんがえに かんがえた。

それからと いうもの
おおかみの つかの ある
たんぼから とれた こめで
大般若経を 600かん つくり
なつまつりの ぎょうじとして
大般若経の 土用虫干祭りと
するように した。

それいらい わるいことは
ぴたりと おきなくなったと
いうことだ。
むらびとたちが おおかみに
おびえる こと なく しごとに せいを
だすことが できるように なった。
おかげで ほうさくが つづき
よいこと ばかりが おきるように
なった そうじゃ。

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あとがき

この物語は「みさとの史跡」27(三郷市役所刊)をもとに作ったお話です。
「狼塚」は、昔、今の常磐高速道路の料金所のあたりにありましたが、今は小谷堀公民館に般若経600巻とともに祭ってあります。